卒業スタッフの話し

当時18歳。岡山出身の元ヤンの女の子

今の場所に移転したのが約8年前。

慢性的な人手不足でスタッフ募集にはいつも苦労してた。

移転後ようやく1年が経とうとした夏のある日、アルバイトスタッフ募集に応募してきた女の子が、

当時18歳、調理師学校に通っていたともちゃんだった。

真っ直ぐな黒髪をキチンと一つにまとめ、スラっと背が高く年齢より大人っぽくみえた。

この時はとにかく人手不足でホールスタッフ、調理補助スタッフ同時に募集していたが面接時、ともちゃんはホールスタッフを希望してきた。

「調理師学校に通ってるのに何故?」と理由を聞くと「調理はまだ自信がない」と。

中学を卒業して18歳まで地元の個人経営の居酒屋でほぼ毎日ホールスタッフのアルバイトをしてたとの事。

なのでサービスの方が自信あるからホールスタッフ希望したいと。

中学生の頃はヤンチャしてたらしい、、

真っ黒な黒髪は限りなく金色に近かったと後日照れくさそうに教えてくれた。

シャイな表情で緊張気味に話すが謙虚さの中に一本強い責任感を持ち合わしてるように感じた。

最近の若者には余り見かけない独特の雰囲気を纏っていたのも新鮮だった。

迷う事なく即採用した。

 


仕事をやらしてみると物覚えが早く要領も良い。

手際が良く仕事も早い。シャイで口数は少なかったが愛想が良くサービスも上手かった。

調理師学校に通ってるのだから本来なら料理がしたいはず。数ヶ後、調理の方もやってみないかと話したら嬉しそうに承諾してくれた。

当初バイトを掛け持ちしていて、なすび亭には週2日のシフトで働いてたが、その頃にはもう一方は辞めて専属になり週4日くらい働いてくれた。

補足だが動物が好きだったともちゃんのもう一方のバイト先はペットショップだったらしい。

そう言えば犬の事はいつも「わんちゃん」と言っていた。


ともちゃんが調理師学校の2年生になったばかりの5月、

社員スタッフが大病を患い長期入院する事に、、

ただでさえ人手不足だった時期、僕はともちゃんに事情を説明した。

「まだ学生で色々やりたい事もあると思うけど、毎日シフト入ってもらいたい」

ざっくりこんな事言ったと思う、、いくら困ってるとは言え、遊びたい盛りの19歳専門学生の女の子にむちゃくちゃなお願い、、

神妙な表情で聞いていたともちゃんは苦笑いしながら、

「これも縁ですね、いいですよ」

と即答してくれた。


ともちゃんは本当に良く働いてくれた。

朝から調理師学校に通った後、夕方6時からラストの片付けまでの23時頃まで。。

それは本当に卒業するまで1日も休まず続けてくれた。

最後の学生生活、友達と遊んだりもしたかっただろう。そもそも朝から勉強して夜遅くまでの立ち仕事、ただでさえ飲食店での仕事は重労働だ。いくら若いとは言え体力的にも辛かったず、、

仕事終わり2人で食事行った時、体力は大丈夫かと聞いたら、

「大丈夫です、辛かったら学校辞めてもいいってお母さんにいわれてますし。」

「え!バイトじゃなくて学校の方?」

「うちのお母さんも変わってるんですよ!」

そう話しながイタズラっぽい笑顔を浮かべた。

自分が休んだら店が営業出来ないと理解してくれてたのだろう、、

食後に別れた帰り道、僕より2回りも若い女の子のその優しさに泣けてきた。。


調理師学校を卒業後、ともちゃんはお店の近くに引越してなすび亭に社員として残ってくれた。

仕込みの仕事をやらしても覚えが良く魚もすぐに卸せるようになった。桂剥きや刻み物なんかも上手かった。

仕事終わった後、2人で良くご飯を食べに行った。酒飲みの僕の相手出来るくらいお酒も強かった。

当時僕が始めた草野球の練習で昼休みにキャッチボールの相手もしてくれた笑

運動神経も良かった。

営業中は調理補助からサービス、ドリンクを作ったり洗い物、お会計等何でもこなした。

入社して1年近く経ち、調理の基礎的な事も覚えそろそろ次のステップにと考えていた2020年、奇しくもなすび亭20周年を迎える年に、、

コロナ禍が始まった、、


12月、騒いでるのは知ってたがお客さんはまだ来ていて余り気にしていなかったが3月に入ると急に予約が入らなくなりキャンセルが増えた。

何故かトイレットペーパーがなくなったのもこの頃。店の備蓄も少なくなってどうしようかとまだ呑気な事を話していた。

ようやく寒さも和らぎ、お店の庭の桜が咲き始めた頃、、

都知事が会見を開きキャンセルの電話が鳴り続けた。次の日からはキャンセルの電話しか鳴らなくなりお客さんがピタリと来なくなった。

人手不足であんなに忙しく過ごしていた毎日にポッカリと穴が空いた。。

この時期、僕はずっと不貞腐れていた。

騒ぐメディア、それに煽られる人や政治家たちに勝手に腹を立てた。

そして何をして良いのかわからない自分にも。。

今までの忙しさが嘘のような仕事の無い日が続いた5月の仕事終わり、ともちゃんに呼び止められた。

「お店を辞めさせてください」

ともちゃんの声は小さかったが一瞬で目が覚めるような感覚がした。

「そうなるよね」

思わず出た僕の第一声だった。

ずっとイライラしていて愚痴ばかりこぼしていた。お酒も増え心配して来店してくれる常連さんにまで愚痴っていた。

不安なのはともちゃんの方だったはず、、

本来はドンと構えて守って安心させてあげなきゃいけない立場なのに、、

2人でよく行ったお寿司屋さんで送別会をして店の前からタクシーに乗せ酔っ払いながら手を振ったのが、ともちゃんと会った最後の日。

あんなに頑張ってくれたともちゃんに対して何とも情けないお別れに。

余りの自分の不甲斐なさ、情けなさを酒で紛らわし、帰り道1人泣きながら歩いて帰った。。


ともちゃんが退社するのでアルバイトスタッフを募集した。

客足が途絶えた飲食業界、求人を出している店は少なかったせいだろう、70人以上の応募があった。(普段は多くて23人程度)

殆どの応募者は急に職を失って働き口に困っていた方たちだった。経歴もあり普段なら応募してくれない良さそうな方たちが沢山面接に来てくれた。

しかしコロナ禍。お客さんもまばらで先行き不透明なこの時期、人件費も抑えなければならない。毎日シフトに入りたいという方はお断りして、スポット希望の学生さんを中心に採用した。

それでもずっと求人で大変だったので、良い人材を不採用にしてしまうのが勿体なく思ってしまい、開業以来一度に採用した人数としては過去最高7人ものスタッフが新たな仲間として加わった。

多くのの応募者の中から選りすぐった正に精鋭、コロナ世代アルバイトスタッフたち

ともちゃんの代わりにと採用した彼女たちは皆とてもよく働いてくれた。

結果として、ともちゃんは自分の代わりになるスタッフを沢山残してから去っていった。

辞めた後まで僕を助けてくれた。

ともちゃんは人手不足だった時に突然現れ、コロナで時が止まった時、突然去っていった。

救世主のような子だった。


あれから3年、、

当時採用した子達が今年の4月から社会人となり3月いっぱいで卒業する。

コロナ禍も収まり、客足も戻ったが人手不足もまたコロナ前に逆戻り、、

寒さも和らぎはじめお店の庭の桜もそろそろ咲く頃かな。。

ふとあの時の頃を思い出す。。

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